中島仲重先生の偉業
明治17 1月5日、中之条村182番地に生まれる。
   23 4月中之条尋常小学校に入学。
   27 尋常小学校を卒業、中之条補習学校に入学。
   29 奉公先の左官屋の親方から学問をすすめられる。
      3月28日、補習学校2年終了。平松吉太郎校長から教育者となるようすすめられる。
      4月1日、中之条尋常小学校教員に採用される。
   32 長野県師範学校第三種講習所(屋代町)に入所。
      10月2日、同所修了、尋常科准教員免許状取得。
      中之条尋常小学校准教員となる。
   33 新校長久松寿太郎先生の感化を受ける。 
      8月、日本体育会員夏季講習を受講。
   35 4月、長野県師範学校本科に入学。
   39 3月同校卒業、戸倉尋常高等小学校訓導に任命される。
   40 戸倉尋常高等小学校の主席訓導に就任し、旧制高等科3・4年の連級を担任する。
   41 義務教育6ヶ年となり、新制高等科の1・2年の連級を担任する。
   43 文検修身科予備試験に合格する。
   45 郡視学から、寺尾小学校長に栄進の交渉があったが、固く断る。
大正元  9月、推されて師範学校第1種講習会を受講する。
    2 3月14日、南条尋常高等小学校訓導兼校長に任命される。(29歳)
   10 1月6日、学校火災により殉職。(37歳)
 1 ファンクショナル・リテラシー 社会をよくし、本当に人生を切り開くことのできる実力ある人間 
                      をつくること 
 2 女子教育の拡大 高等科の設置を復活させ、自ら生徒募集に村内を廻り、特に女子生徒の 
               入学をすすめ、教育の実を挙げました。
 3 教育の研究 研究の裏づけがあって教育は発展するとし、自身はもちろん職員の研究に大い
           に熱意を傾けました。
 4 教師を大事にする 同僚職員に対する親身の指導信頼、そして全責任をもって守りました。
 5 生涯教育の展開 自ら積極的に村民の中に入り込んで教育しました。あるときは、婦人会長
                までしました。
 6 時代に先んずる教育 高い見識をもって努力しました。
 中島先生が着任した年の4月、村は学校経費削減のために、高等科の廃止を決めました。当時の学校経費は、経常費総額の半ばを占め、村の財政にとって極めて大きな負担となっていました。
かくして、高等科生は坂城小学校へ委託転校させられ長い道を通うことになりました。先生の教育理想は、1村1校、尋常高等一貫教育でした。そのため、たゆまぬ努力をもって高等科復活のために各方面の折衝に奔走しました。
 その結果、2年後の大正4年、その設置認可を得ましたが、それは1・2年生複式1学級編成とし、校長自ら」その学級を担任するという厳しい条件のもとでの認可でした。しかし、これによって、先生の理想は、具体的な一歩を進めたことになりました。

  
略年譜
中島先生の考え
エピソード